「罪を憎んで人を憎まず」とは
「罪を憎んで人を憎まず」とは、読んで字の如く、人が何か罪を犯したとき、その人を憎むのではなく罪そのものを憎もうという意味の格言です。
孔子が言ったとか、聖書に記述があるとされています。
聖句には似たニュアンスの言葉がいくつかあります。
「義人はいない。ひとりもいない。」
「あなたがたの中で罪のない者だけが、この女に石を投げつけるがよい」
つまり人類はみんなが罪人であるということです。
罪とは法律に違反する罪だけじゃありません。
心の中で人を蔑むことだって罪なのです。
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寛容で前向きな言葉
誰かが目に見えた罪を犯したとします。
しかし、その背景に何があったのか、誰も本当の意味で理解することはできません。
誰もその人と同じ立場にたつことができないのに、その人を裁けるのでしょうか。
だったらその人を憎むのはやめようではありませんか。
しかし一方で、その罪を憎む心を忘れてはいけません。
罪まで許すのではなく、二度とその罪が生まれないためにはどうしたらいいか考え進歩していきましょう。
寛容であるが、全て忘れて洗い流すのではなく罪そのものとは戦います。
そんな姿勢が見られる、高次な心が表出された言葉なのです。
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罪を憎んで人を憎まない世界に
罪を憎んで人を憎まない優しい世界になればいいと思います。
例えば、憎しみから人を殺してしまった人がいたとします。
もちろん、その人は罪を償うべきです。
しかし、私たちも当事者意識を持って、その人にどんな背景があったのか考え、どうしたらそんな悲劇が起こらないかを対策していける様な優しい世界になったら素晴らしいと思います。
確かに、被害者からしたら加害者が苦しめば苦しむほど救われる気持ちも分かります。
しかし、目には目をでは人間が人間に絶望したままです。
人類全体が立ち直る方向には進めないと思うのです。
神が思い描いた人間本来の姿を取り戻そうではありませんか。
最近ではインターネットやSNSを使った私刑も当たり前になっています。
第三者がわざわざ周辺情報を洗い出し、その人ばかりが憎まれる状況に拍車がかかっています。
しかし、人ばかり憎んでも根本問題は解決しません。
罪そのものにスポットを当てて、みんなで考え、取り組んでいきましょう。
どんなことがあっても人間に絶望しない「罪を憎んで人を憎まず」の精神を今こそ実践すべきではないでしょうか。
いばや通信の坂爪圭吾さんはこんな事を言っています。
憎しみの感情で何かをすれば、世界に憎しみの総量を増やしてしまう。慈しみの感情で何かをすれば、世界に慈しみの総量を増やすことができる。大事なことは、隠された悪を撲滅することではない。隠された悪を撲滅したところで、世界の美しさが増える訳ではない。憎しみは、また別の憎しみを生む。私は、できることならば、未熟な部分を大量に抱えながら、それでも「美しい」と思える世界を生きていたい。
出典:【KIX-東京】最大の復讐は「許す」ことだ。 – いばや通信
憎しみの入力に対して、憎しみの出力をしていては、世界の憎しみの総量を増やしてしまいます。
難しいことかも知れませんが、憎しみの入力に対して、美や慈愛の出力ができたなら、それはどれほど大きな勝利でしょう。
ひとりひとりがそんな「罪を憎んで人を憎まず」を実践できたのなら、世界が大きく変わるはずです。
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