「情けは人の為ならず」というコトワザがあります。
人に情けをかけることは、その人の為にもなるが、自分の為にもなるという教えのコトワザです。
このコトワザの全文は「情けは人の為ならず 巡り巡って己が為」です。
短くて語呂が良いからか「情けは人の為ならず」だけが独り歩きしてしまい、まるで「情けは人の為にならない」と言った意味で誤用される事もあります。
さて、このコトワザ、本当にその通りだと思います。
色んな人に対して親切にしていると、情けをかけた人から恩が返ってくることもあれば、その人を経由して自分に情けが還ってくることもあります。
世の中の成功者でも、情けは人の為ならずを座右の銘にしている人は多いです。
情けは人の為ならずの類語
「思えば思わるる」「人を思うは身を思う」などが類語に挙げられるでしょう。
また、善行を積み重ねる家庭には余りある慶(めでたい事や喜ばしい事)があるという意味の「積善の家には必ず余慶あり」も類語と言えます。
さらに、聖書にも「与える者は与えられる」というニュアンスの近い教えがあります。
情けは人の為ならずは、時間や空間を越えた、普遍にして不変の真理であり、宇宙のメカニズムなのでしょう。
運が良いのは、情けが還ってきているから
人はよく「運が良い」なんて言葉を使いますが、私は「情けは人の為ならず」の働きではないかと考えています。
自分の働きや実力とは別の部分で何かしらの力が働いた時、人は「運が良い」と言います。
しかし、その種を蒔いたのはその人なのです。
普段から人に情けをかけているから、巡り巡って自分に良い力が働く。
その流れを直接知ることができないから、自分とは別の力、つまり「運」と呼んでいるのではないでしょうか。
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恩送りで恩を循環させる
「情けは人の為ならず」と関連する言葉で「恩送り」という言葉があります。
恩送りとは、誰かから受けた恩をその人に返す「恩返し」ではなく、他の困っている人や情けを必要としている人に送っていくという考え方です。
「情けは人の為ならず」が真理ならば、この恩送りを積極的にすることで自分が恩をたくさん得られます。
いまはインターネットサービスが成熟し、恩送りがとてもしやすい時代です。
世の中を良くしようという人たちが様々な仕組みを展開しています。
クラウドファンディングなどがまさにそれです。
今まさに助けを必要としている人が目に見えて分かりますし、その後の動きも知ることができます。
恩送りを描いた名画「ペイ・フォワード 可能の王国」
「情けは人の為ならず」とは少し違いますが、恩送りをテーマにした映画があります。
中学1年生の主人公トレバーは、社会科の先生から「世界を変える方法を考え、それを実行しよう」という課題を出されます。
トレバーは「3人の人に善意を施し、その善意を受けた人がまた3人の人に善意を施せば世界が変わる」と答え、それを実践していきます。
トレバーの恩送りによって、周囲の人に影響を及ぼし始めます。
恩送りの大切さ、そして難しさを描いた、全人類が見るべき傑作です。
やらない善よりやる偽善
情けをかけている人をみて「偽善だ」という人がいます。
自分への恩を期待している、高感度や知名度アップのため、自分が気持ち良くなるため…etc
結局は自分の為に、人に情けをかけているのだという主張です。
ある意味で、そうなのかも知れません。
しかし、それで結構なのです。
「やらない善」より「やる偽善」の方が遥かに価値があります。
と言うより「やらない善」に何の価値もありません。
世界中のひとりひとりが、自分の為にでも人に情けをかけることができるなら、きっと世界は変わると思います。
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