1966年に発行された神谷美恵子の著書「生きがいについて」にこんな言葉があります。
私たちは幸か不幸か現世のなかで自分の居どころをあたえられ、毎日のつとめや責任を負わされ、ひとや物事から一応必要とされて忙しく暮しており、そのおかげでこの虚無を、この「空」を、なんとか浅くまぎらしている。
現世へのもどりかた「のこされた問題」より引用
発行から50年以上経った現在を生きる我々にも身につまされるフレーズではないでしょうか。
神谷美恵子の捉える生きがいは今も読み継がれ、全く色褪せることなく不変にして普遍の真理を湛えています。
その表題通り、ただひたすら人間の生きがいについての考察が繰り広げられる名著です。
概要
1966年の発行から現在に至るまで読み継がれている名著で、執筆には7年が費やされています。
ページ数は360にもなりますが、平易ながら美しい文章が読み進める上で大きな助けとなってくれます。
本編の後に、神谷美恵子の執筆日記(1958~1966年)と柳田邦男による解説がありますが、こちらもボリュームがあります。
章立て
- はじめに
- 生きがいということば
- 生きがいを感じる心
- 生きがいを求める心
- 生きがいの対象
- 生きがいをうばい去るもの
- 生きがい喪失者の心の世界
- 新しい生きがいを求めて
- 新しい生きがいの発見
- 精神的な生きがい
- 心の世界の変革
- 現世へのもどりかた
- おわりに
Sponsored Link
感想
掴みどころのない「人間の生きがい」というものに対する強い関心と、全容を捉えようとする情熱が尋常ではありません。
その情熱を表しているのが、参考文献や観察対象の量でしょう。
岡潔やナイチンゲールなど、世界各国、古今東西の人物とその人生、そして文献が、神谷を通して「生きがい」を掘り下げる材料になっています。
ウォーコップにいわせると、人間の活動のなかで、真のよろこびをもたらすものは目的、効用、必要、理由などと関係のない「それ自らのための活動」であるという。
たしかに何か利益や効果を目標とした活動よりも、ただ「やりたいからやる」ことのほうがいきいきしたよろこびを生む。
金のためのアルバイトばかりやることを余儀なくされているひとは、金のためでない仕事、金にならない仕事をする自由にどんなにかあこがれることであろう。
目的とか効用というものを一切はなれた純粋なよろこびが経験されることは、おとなになるにしたがって少なくなってくるが、おとなのなかでは詩人のようなひとが一ばんこれを味わいうる人種であろう。生きがいを感じる心「感情としての生きがい感」より引用
一方で、本書の根底に貫かれているのは、神谷美恵子自身が人生で深く関わった名もなきハンセン病(本書ではらいと表記)患者が人生と向き合う姿です。
世界の人物や文献から得た客観性と、自身の体験や考察から得た主観性。
決して机上論ではない、バランス感覚の保たれたフラットな姿勢で書かれています。
そして、本書では決して「生きがい」の全容を捉えきれたわけではなく、まだまだ分からない事、答えの出ない事、残された問題がたくさんある事も言い残しています。
人間の存在意義は、その利用価値や有用性によるものではない。
野に咲く花のように、ただ「無償に」存在しているひとも、大きな立場からみたら存在理由があるにちがいない。
自分の眼に自分の存在の意味が感じられないひと、他人の眼にもみとめられないようなひとでも、私たちと同じ生をうけた同胞なのである。
もし彼らの存在意義が問題になるなら、まず自分の、そして人類全体の存在意義が問われなくてはならない。現世へのもどりかた「のこされた問題」より
生きがいというテーマについて広く深く、淡々と美しく語られる本書ですが、本編の後の執筆日記には神谷の苦悩にも似た格闘が記されています。
執筆日記も、ぜひ読んでほしいと思います。
一日中書いていた。
それでも大して捗っているわけではない。
考え考えしらべしらべかいているので。
ときどき自己嫌悪におそわれて困る。
こんなつまらないものを出す価値があるだろうか、と。
でも私は私でしかないのだ。
この頃一寸もつかれない。
過去とつじつまを合わせようというgrandioseEinheitswillen〔宏大な統一意欲〕がこの頃の私を圧倒しているようだ。
過去に蓄積したもののすべてをこの本の中にぶちこんで統一したいというのだ。
Chaosの克服ができるかどうか。
必死なのだ。
ともかくやっと書くことの許される事態と時が来たのだから。1960年2月14日の日記より引用
生きがい感がない人、生きがいを喪失してしまった人にはもちろんオススメですが、生きがいを持っているとハッキリ言える人が読んでも新しい世界が開けると思います。
100分de名著でも紹介
「生きがいについて」はNHKの100分de名著でも紹介されています。
私自身、この番組によってこの本を知りました。
ボリュームのある本書を100分という短い時間ですが、核心的なエッセンスが抽出されています。
指南役は、内村鑑三「代表的日本人」の回、石牟礼道子「苦海浄土」の回でもお馴染みの若松英輔さんです。
ひとは誰も、「生きがい」を作ることはできない。しかし、誰もが、固有の意味をもった「生きがい」を育むことはできる。生のあるところには必ず「生きがい」の種子があり、それは見出され、育まれるのを待っている、というのが、神谷美恵子の『生きがいについて』の骨子だと私は思う。
— 若松英輔 (@yomutokaku) 2018年5月8日
NHKオンデマンドで100分de名著「生きがいについて」を視聴
人生100年時代の今こそ「生きがいについて」を
発行から50年以上の時を経た2018年9月、この「生きがいについて」が再び注目を集めました。
NHKの島津有理子アナウンサーが40代半ばにして医者を目指すと発表したニュースで、この「生きがいについて」から大きな影響を受けたと語りました。
この島津アナウンサーこそ、上記の100分de名著で司会を務めたその人です。
今回の決断の背中を押してくれたのは、実はこの番組です。
5月にお伝えした「生きがいについて」を読んでいるうちに、自分の内面と向き合い、幼い頃からの思いを叶えるべきではないかと思うようになりました。
アナウンサーとして20年のキャリアがありながら、全く異なる分野の医者という道に挑戦するその姿に、多くの人に勇気や驚きを与えました。
その時々で人生を何度も作り直すことができる人生100年時代と言われる現代だからこそ、もう一度読まれるべき名著です。
元NHKのアナウンサー島津有里子さんが退職し、医師を目指すと発表した際、100分de名著で取り上げた神谷美恵子の『生きがいについて』が、影響を与えたと語っていました。その番組のテキストが今、注目を集めています。ネット書店では品切れですが、版元では購入できます。⇒https://t.co/DIqpEIuCEu
— 若松英輔 (@yomutokaku) 2018年9月27日